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天啓霊言「霊史・イタコ縁起」

恐山について

恐山

非常に意外なことですが、恐山という山は正式な日本地図上には存在していません。地図を広げて見ると、 俗に恐山と呼ばれる下北半島のエリアには、釜臥山(かまふせやま)、地蔵山(じぞうやま)、剣山(つるぎやま)、鶏頭山(け いとうやま)、大尽(おおづくし)、北国(ほっこく)、屏風(びょうぶ)と言う8つの山峰が聳えているのが分かります。これ らの山々に囲まれた一帯を総称する宗教的な名称として、「恐山」という名がつけられているのです。

その語源は、この地にある湖・宇曽利(うそり)湖の名が「うそれ」に変わり、そこから「恐山」に転じたという説や、湾や入江 を表す古代アイヌ語の「ウソリ」あるいは「ウッショロ」という語が訛ったとされる説などがあり、その真偽はいまだに定かではありません。

いずれにしてもこの地の風景は、「恐山」という言葉の響きにふさわしいものです。休火山地帯である当地には一面に剥き出しの 岩山が広がり、硫黄臭に満ちたガスがあちらこちらから噴き出しています。黒く焼け爛れた岩、賽の河原や血の池地獄に見立てら れるひときわ恐ろしげで荒涼とした場所、暗い空を舞うカラスの群れなど、まさに地獄の風景をこの世に再現したような超常的な 景観に満ち溢れています…。

恐山の開山

恐山

そんな恐山の開山は、今より千年以上も昔にさかのぼります。

貞観4年(862年)、伝教大師・最澄の弟子であり、のちに慈覚大師とも呼ばれた高僧である円仁は、唐での留学中に不思議な霊夢を見ました。その夢には貴人が現れ、「汝、国に帰り、王城(京都)より東方行程30余日の所に至れば霊山あり。 地蔵尊一体を刻しその地に仏道を広めよ」と若き円仁に告げました。

帰国後、さっそく円仁は夢で託宣された霊地を探し求めて旅を始め、さまざまな苦労を重ねた末、承和14年(847年)、ついにこの恐山の地に辿り着いたと伝えられています。そこには夢のお告げ通りに地獄を表す光景が108箇所あり、「これぞかの霊地なり」と得心した円仁は、全長6尺3寸におよぶ地蔵尊を一気に彫り上げ、それを仏堂の本尊として安置しました。以後、この地は地蔵信仰の地として人々に崇敬され、高野山、比叡山と並ぶ三大霊山として知られるようになっていったのです。

開山以後、応仁戦国期の戦火で寺は一度焼失しましたが、享禄3年(1530年)、曹洞宗の禅寺として再興され現在に至っています。正式名は「恐山菩提寺(釜臥山菩提寺)」。 ここで年に二回開かれる、「恐山大祭」と「恐山秋祭」の期間のみ、境内で青森県内外から集まったイタコたちによる「口寄せ」の儀式が執り行われています。

イタコの起源

イタコ

「イタコ」の語源は、「移他家(イタカ)」という言葉が転訛したものである、という説があります。「移他家」とは戦国時代の頃、神憑り(かみがかり)となって故人や神仏からの宣託を語り、村々を行脚した流浪の巫女(男性もいた)たちの総称です。

こうした旅の巫女たちがなぜ東北の地「恐山」に集まるようになったのが、その発祥は定かではありませんが、江戸時代中期にはすでに奥羽地方で「イタコ」と呼ばれる霊能者たちが「口寄せ」の秘術を操り、死者の霊を呼び寄せていたという記録も残っています。彼女たちは、ただ霊を呼ぶだけではなく、ときにはまじないによって村人の病気を治したり、現代で言う占いのようなこともやっていたりしたようです。

身分制の厳しい封建時代において、ただでさえ差別された存在である女性であり、なおかつ視覚が不自由であるということは、現代人の想像を絶するほどの凄まじいハンデであったに違いありません。そんな彼女たちが生き難い人生を何とか生き抜くために、霊術を操る放浪巫女の弟子となり、その中からとくに霊媒的資質に優れた者たちが「イタコ」となって、あの世での魂の救済を眼目とする地蔵信仰の盛んなこの地方に次第に浸透していったのではないか…そんな歴史的経緯も推測されます。

イタコの霊能術

イタコが操る霊術「口寄せ」の内容は、大別してふたつに別れます。ひとつは亡き人を身に憑依させて遺族と語らせる「仏降ろし」。もうひとつは神仏の言葉を降ろす「神降ろし」です。とくに「神降ろし」の術においては、個人の悩み事を解決する手助けをするだけではなく、様々な予知・予言なども行います。中でも能力の高いイタコは地元の人々より生き神様として崇められ、そうした人が亡くなった時の地元の記事にも「イタコ・神様」と書かれるほどです。

イタコは、師匠の先輩イタコについて修行しながら経文や魂降ろしの作法を学び、入巫式を経て最終的に独り立ちをします。彼女たちが伝承する経文はおよそ20種類もあるとされ、口寄せの内容によってそれを使い分けています。また梓弓と呼ばれる楽器を使った口寄せなどもあり、それら全てを習得するまでの修行はとても長く、厳しいものです。そのため、後継者も減少の一途を辿っているのが現状です。

中世・戦国期以来の長い歴史の中で培われた神秘の霊術であるだけに、それがこのまま消え去ってしまうのは誠に惜しむべきことと言わねばなりません。

いっぽう当・天啓では、こうしたイタコ霊術の豊かな伝統を忠実に継承しつつ、日本三大霊山で厳しい修行を重ねた一級の霊能者たちが、連日連夜、お客様の鑑定に当たらせていただいております。恐山では年に二回しか接する機会のない本物のイタコの口寄せが、いついかなる時でも電話で受けることができる。また、それによって凄まじい的中率を誇る日本古来の霊媒術が未来に渡って存続の道を得られていくことは、お客様にとっても、当所所属のイタコ霊能師一同にとっても、またとない幸いであることを心より確信いたしております。